かつて、大阪南部、いわゆる泉州地域において盛んであった紡績・織布業。
古くは「和泉木綿」と言われたように綿花栽培が盛んであり、経済の発展とともに原料である綿花を産地の近辺で紡績、製織と加工業が発展したのは必然と言えます。
昭和中期には数多くの紡績・織布工場ができました。
中でも有名なのは「大日本紡績貝塚工場」。あの「東洋の魔女」で有名なバレーボールチーム、「ニチボー貝塚」が存在していた工場です。
さて、紡績・織布工場が数多くできると、当然それに付随して機械のメンテナンスや運送業など、周辺の業種も集まってきます。
常国鉄工の由来は、創業者・常国良太郎にあります。
良太郎はいわゆる「村の鍛冶屋」で、荷車を曳いたり田畑を耕すのに用いた馬の、蹄鉄打ちとして名を馳せました。
機械化が進む世の中に対応すべく、一念発起し「厄除けの水間観音」で知られる水間寺が所在する地、貝塚市水間へと移り、周辺に多数あった紡績・織布工場における織機の修理や、工場内外の水道工事、圧縮空気の配管工事などを手がけたのがその始まりです。
そんな常国鉄工について、その概要や沿革、現在の所在地についてなどを、以下にご案内します。